パンツとは単なる下着にあらず

 

 2号です。これは公式の見解ではない、単なる感想である。最初に断っておく。

 相方から渡されたハイロイン翻訳を初めて読んだ時、私(2号)はハイロインミリシラであった。一ミリも知らない、つまり何の情報も入れない私が読んだハイロイン冒頭はパンツで始まった。

 白パパがパンツを流して白洛因にこっぴどく叱られるあの冒頭のシーンである。私は正直「えーと?」となった。ハイロインが北京を舞台としている事はかろうじて聞いていたのだが私の知ってる北京は18年ほど昔、相方のガイドで一切観光をせず美味しいものを食べるだけ食べて中華美味しいタクシーやばいトイレ汚い感想以上ですの3泊4日とドラマ「君花」だけである。
 2000年代って事はじゃあまあ「君花」じゃなくてあの美味しかった北京ですね!のつもりで読み出したのだ。あの北京には携帯もインターネットも水洗便所もあった。(もちろん紙は流せなかったが) その北京で白パパはパンツを流した。パンツを流した?どこへ?排水溝からパンツは出てくる。

 パンツ、それも息子のパンツ手洗いしてるの?

 まあそれはいい百歩譲ってそんなこだわりもある人もいるかもしれない。だがしかし排水口にパンツ入るか?
 排水のパイプがクランクになって水を溜めて下水からの匂いや虫の侵入を防いでる構造(排水トラップ)は日本では義務なので付いてない状況が思い浮かばない現代日本人はもう冒頭で引っかかった。現代日本においてパンツは絶対流れないのだ。流れるにはパイプが細すぎる。

 しかし舞台は北京。白パパ、どこでパンツ洗ってるの?外?パパ外で高校生の息子のパンツ洗ってるの?息子は激おこである。3枚のパンツの一枚が排水溝から見つかったから怒ってる息子。思春期の男の子がパンツ手洗いされてることの違和感が私を襲う。なるほどこの様な関係性なのだこの父と息子は。洗濯機がない外の、排水システムがない水槽で父親が手洗いしてるパンツ、これはつまりインフラが戦前ってことか。

 なんてことだ。冒頭1ページで白洛因の設定が浮き彫りになる。
 パンツだけで。

 ここで私はパンツを白ブリーフとした。パパに下着を洗ってもらってるお子様は白ブリーフで十分である。いやいっそ白ブリーフであるべきだろう、と数十年前に映画「ブエノスアイレス」で見た白ブリーフの二人が囁く。当時の衝撃はすごかった。
2000年代の中国人イケメンは白ブリーフをはいてるに違いない。流されたのは白ブリーフ。
 私の脳内で白洛因は白ブリをはいた。

(ちなみに顧海はトランクスである。今後書籍版の中でトランクスでなかったら困るだろうこれは、と言う場面が出てくるのでその場面を見つけたら笑ってください。)

 とにかくハイロインにはパンツがやたら出てくる。白洛因はこの後濡れたパンツを履き顧海は興奮して汗をかきながらパンツを洗う。

 愛の誓いまでパンツだ。パンツパンツパンツ。

 多くは言わないがあれもこれもパンツである。白ブリの白洛因とトランクスの顧海が延々ワーワーやっている。しかしその時その時にパンツは冒頭のごとく状況を如実に表現していた。

 白ブリの高校生は色々あって大人になる。大人になった白洛因はもう白ブリは多分履いてない。顧海もあのスーツの下は海外ブランドのボクサーパンツか下手したらモッコリブーメランパンツになっている。パンツは変わる。ハイロインにおいてそれは時代を映し彼らの立場を映し価値観を映している。

 白いブリーフとランニング。ヒゲの誰かに代表されるその立場を同じくする彼らの葛藤と暴走の青春を堪能し終わった時、私は冒頭の白パパに戻った。

 パンツを流したパパの何と愛らしいことか。息子のパンツを洗ってても何の違和感もない。青空の見える中庭もパンツが流れる排水溝も怒る息子さえもが古いながらも愛に満ちた四合院の景色を構成している。

 パンツは流されなければならなかったのだ。すべてはそこからはじまるのだから。

 たかがパンツ、されどパンツ。ハイロインにおいてはビバパンツであった。

2号/パンツ感想